なんとなく名言っぽい言葉を作ってみた
この世の中には名言が溢れている。
時には慰め、時には心の支えになる先人たちの言葉。
そんなこの世にちりばめられた名言を参考になんとなく名言っぽい物を作ってみたのでどうか心の支えにして欲しい。
人生編
・人生とは吊り橋のような物である。下ばかり見ていてはうまく前には進めない、恐怖に負けず前を見ることが大切なのだ。
・命という航海の先に見えるのは死だけだよ。何事も気を負うな。
・良い生き方をしたいならまずはそしゃくしろ。そしてよく味わい、最後には飲み込む。人生の大半もそんなもんだろ?
・世界も戦争という間違いを繰り返してきたんだ。君のそんな間違えどうってことない。
・石ころのように丸みがかった人生じゃ地獄にすとんだぜ。
・人生失敗ばかりだった。だが、傍から見ればコメディな人生だった。どうだい?楽しめたかい?
恋愛編
・失恋の痛手なんてたんこぶと一緒だ。時が来れば治る。
・あんなにも愛していたのに。愛していたのにって、愛とは悲しみにくれることじゃないよ。
・振られたって?気にするな。単なる小春日和だ。
・女性とは可憐な花のようだが女性の欲はぺんぺん草のようだ。
・時ってのは残酷だ。あの子をしわくちゃにしやがる。恋は盲目ってのは嘘だね。はっきりと目に見えているんだもの。
・先っぽだけ。先っぽだけ。
あの頃の僕たちは足繁く通ったんだあのエロ神社に
あなたは道ばたにエロ本が落ちているというのを見たことがあるだろうか。
もしかしたら都会ではほぼ無いのかも知れない。
だが、福島ではあったのだ。
小学生のあの頃僕たちは帰り道でエロ本を見つけては
とある場所に隠していた。
そう。
タイトルにもあるように神社だ。
エロ本を見つけては縁の下に隠す。
縁の下の力持ちというのはエロからくるのではないのだろうかとあの頃は本当に思っていた。
そして皆でエロを共有しあう。
とても平和な日々であったのは間違いない。
エロ本を見ながら悶々とし
「俺たちはいつ生で拝めるんだべか」
「お前の姉ちゃんもこんな感じ?」
などと馬鹿な話ばっかりしていたあの頃。
だが、ある時悲劇が起きた。
一夜にして我々が収集した秘蔵の本が消えたのだ。
拾ってきた本のほかにも勇気をだして買った
「ふたりエッチ」すらも消えていた。
僕たちは焦った。
青春という時間と引き替えに集めた本が消えたという事実。
探しても探してもどこにもない本。
「エロ本の山が○○の廃屋にあるよ」と聞けば
映画、スタンドバイミーのごとく炎天下の中歩いたあの青春の日々すら捨てられた気持ちなのだ。
そして僕たちはその一件以来エロ神社には誰も寄らなくなった。
今や道ばたに落ちていないエロ本。
あの頃はエロ本を小学校の通学路に置いていく業者でもあるんじゃないかと思うくらいに道ばたには性が溢れていた。
いまやネットの時代。
もしかしたらエロ本が落ちていないのも
時代がエロ本という物を隅に追いやっているせいなのかも知れない。
検索バナーに「エロ 無料」と入れクリックするだけで女性のあられもない姿を簡単に見ることができるそんな時代。
いい時代なのか。悪い時代なのか。
僕にはわからないが紙媒体というのも大切にしていきたい。
僕はあの頃を思い出し、そう思ったのであった。
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小学生の時の登下校って変な遊びばっかするよね
小学生の時の登下校にやっていた遊び。
思い出してほしいあなたは何して登下校をしていただろうか。
思い出すだけで少しノスタルジックな気分にさせる小学生時代の記憶。
そんな登下校時に僕がしていた遊びをまとめてみたので
どうかGW後半はノスタルジックに浸りGW明けの地獄を紛らわせてほしい。
石蹴り
家から学校まで、または学校から家まで石を蹴り無くさずに帰るという究極の遊び。この遊びはもしかしたら石器時代にもあったのかもしれないと思わせるほどシンプルな遊び。
日陰歩き
歩いていい場所は日陰のみという自分を追い込む遊び。夏は夜遅くまでかかるか途中で干からびる。
横断歩道の白だけ渡る
黒に触れたら死亡ね!
空き缶で足音を奏でる
500mlの空き缶を踏み、足に装着させ歩きながら音を奏でるブレーメンの音楽隊のような遊び。
グリコ
おなじみのじゃんけんでグリコをし勝った歩数分歩くという帰宅まで数時間ほど掛かる過酷な遊び。
甘未を求めて彷徨う
名前はわからないがあなたも一度は見た事あるかもしれない。あの甘い紫色の小さな花を。
※下からは真似しちゃだめな遊び
ピンポンダッシュ
なぜ小学生の男の子はピンポンダッシュにハマるのだろうか。科学してほしい。
廃屋の窓を石で割る
近所にあった廃屋。何度も窓を割ってごめんなさい。
懐かしき小学生時代。
あの子は元気だべか。そんなことを思うよね。
P.S.横断歩道のやつは今でもやる25歳児
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