あの頃の僕たちは足繁く通ったんだあのエロ神社に
あなたは道ばたにエロ本が落ちているというのを見たことがあるだろうか。
もしかしたら都会ではほぼ無いのかも知れない。
だが、福島ではあったのだ。
小学生のあの頃僕たちは帰り道でエロ本を見つけては
とある場所に隠していた。
そう。
タイトルにもあるように神社だ。
エロ本を見つけては縁の下に隠す。
縁の下の力持ちというのはエロからくるのではないのだろうかとあの頃は本当に思っていた。
そして皆でエロを共有しあう。
とても平和な日々であったのは間違いない。
エロ本を見ながら悶々とし
「俺たちはいつ生で拝めるんだべか」
「お前の姉ちゃんもこんな感じ?」
などと馬鹿な話ばっかりしていたあの頃。
だが、ある時悲劇が起きた。
一夜にして我々が収集した秘蔵の本が消えたのだ。
拾ってきた本のほかにも勇気をだして買った
「ふたりエッチ」すらも消えていた。
僕たちは焦った。
青春という時間と引き替えに集めた本が消えたという事実。
探しても探してもどこにもない本。
「エロ本の山が○○の廃屋にあるよ」と聞けば
映画、スタンドバイミーのごとく炎天下の中歩いたあの青春の日々すら捨てられた気持ちなのだ。
そして僕たちはその一件以来エロ神社には誰も寄らなくなった。
今や道ばたに落ちていないエロ本。
あの頃はエロ本を小学校の通学路に置いていく業者でもあるんじゃないかと思うくらいに道ばたには性が溢れていた。
いまやネットの時代。
もしかしたらエロ本が落ちていないのも
時代がエロ本という物を隅に追いやっているせいなのかも知れない。
検索バナーに「エロ 無料」と入れクリックするだけで女性のあられもない姿を簡単に見ることができるそんな時代。
いい時代なのか。悪い時代なのか。
僕にはわからないが紙媒体というのも大切にしていきたい。
僕はあの頃を思い出し、そう思ったのであった。
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小学生の時の登下校って変な遊びばっかするよね
小学生の時の登下校にやっていた遊び。
思い出してほしいあなたは何して登下校をしていただろうか。
思い出すだけで少しノスタルジックな気分にさせる小学生時代の記憶。
そんな登下校時に僕がしていた遊びをまとめてみたので
どうかGW後半はノスタルジックに浸りGW明けの地獄を紛らわせてほしい。
石蹴り
家から学校まで、または学校から家まで石を蹴り無くさずに帰るという究極の遊び。この遊びはもしかしたら石器時代にもあったのかもしれないと思わせるほどシンプルな遊び。
日陰歩き
歩いていい場所は日陰のみという自分を追い込む遊び。夏は夜遅くまでかかるか途中で干からびる。
横断歩道の白だけ渡る
黒に触れたら死亡ね!
空き缶で足音を奏でる
500mlの空き缶を踏み、足に装着させ歩きながら音を奏でるブレーメンの音楽隊のような遊び。
グリコ
おなじみのじゃんけんでグリコをし勝った歩数分歩くという帰宅まで数時間ほど掛かる過酷な遊び。
甘未を求めて彷徨う
名前はわからないがあなたも一度は見た事あるかもしれない。あの甘い紫色の小さな花を。
※下からは真似しちゃだめな遊び
ピンポンダッシュ
なぜ小学生の男の子はピンポンダッシュにハマるのだろうか。科学してほしい。
廃屋の窓を石で割る
近所にあった廃屋。何度も窓を割ってごめんなさい。
懐かしき小学生時代。
あの子は元気だべか。そんなことを思うよね。
P.S.横断歩道のやつは今でもやる25歳児
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おやじ、そしておふくろへ
父親を「おやじ」
母親を「おふくろ」
いつか僕もこう呼ぶんだろうなと思い続けて早25年。
未だに「お父さん」「お母さん」や名前で呼ぶこともある25歳。
たまに「おやじ」「おふくろ」呼びの人がいるけれどもいつ変化したのだろう。
そんなことを思った事はあなたもないべか。
幼稚園児?
幼稚園児が「おふくろ、漏らしちまったからパンツ洗ってくれ」
なんて言うのだろうか。
小学生?
小学生が「おふくろ、運動会は僕の大好きなだし巻き卵沢山入れてね」
なんて言うのだろうか。
中学生?
中学生が「おやじ、キャッチボールしようぜ」
これはなんかわかる気がする。
高校生?
高校生が「おやじ、ちょっとお金貸してくれ」
台詞だけ聞いたらおやじ狩りだがこれも少しわかる。
はたしてどこからこの呼び名へと変化していくのか。
僕の考えだが、10代後半から20代前半がそれっぽい。
一人暮らしを始めて、久しぶりに実家に帰る。
そして第一声に「おふくろ、ただいま」
なんかしっくりくる。
そして、おふくろもおふくろで
「おかえりなさい(あらやだ、この子もしばらく見ない間に大人になっちゃって)」
なんて思うのだろう。
だが、やっぱり急に「おやじ」「おふくろ」呼びはこっぱずかしい。
そして、海援隊の「今も、聞こえるあのおふくろの声~」で有名な
始まりのセリフは何故だか「お母さん、今ぼくは思っています・・・」
「お母さん」から始まっているのだ。
ということは「僕は死にましぇーん」でおなじみの武田氏は
「お母さん」と「おふくろ」の両刀使い・・・
ではなく
僕が思うに直接話しかける時は「お母さん」
誰かに自分の母の事を話す時や思い出に耽る時に「おふくろ」
呼びをしているのでは無いかと勝手に解釈した。
だってやっぱり直接「おやじ」「おふくろ」恥ずかしいもんね鉄矢。
「おやじ」「おふくろ」
今度会ったら言ってみよう。
どんな顔をするんだべ。
どんな反応をするんだべ。
気になります。